■キハ80系
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■[4806]キハ81
■[5466]キハ82 vol.1
■[5467]キハ82 vol.2
■[7974]キハ80
■[7895]キロ80
■[8817]キサシ80
■[8818]キシ80
そんなワケでキハ80系も10年目のリニューアルで御座い。今回のは大雑把には3代目です。…細かく言うと4代目になるのですが、後述する半キノコ含め、前回作品に比べて実物に近いニュアンスで描けてるんじゃないか、とは思いますが、如何せんセミスケールですからmoko流のデフォルメがいっぱい詰まっています。要は何時も通り。(笑
 
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キハ81
はつかり型とも言われますが多く広まった通称は「ブルドック」。文字通り「はつかり」でデビュー、はつかりが電車化されると「つばさ」へと転用されますが、板谷峠でのEF71補機連結のために前面の連結器カバーが外され、ブレーキ管取り出しのためにスカートも欠き取られ、優美な姿は崩れていきます。その後は「いなほ」「ひたち」、ついには西日本地区へ移って「くろしお」で最期を迎えます。
 
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キハ82
白鳥型という呼び名は現代では全く浸透してないですが、当時はそう呼ばれたそうで。東海型のエッセンスを含みつつも優美さのある貫通型の前面は続く特急形気動車の雛形になりました。当初はキハ81と同じでAU12を4基(キノコ単位で言うと2つ)搭載としていましたが、中期製造分からAU12を5基に変更。初期車も5基へと増やすのですが、搭載スペースに余裕がなく、小キノコ型の着せは後ろ側を省略して切妻とした所謂「半キノコ」となってしまいました。
キハ82-900は初期型キロ80を改造した車両で、こちらも半キノコクーラーを搭載しています。末期は北海道での活躍が有名だったようです。
 
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キハ80
普通中間車。初期型とそれ以降ではベンチレータの位置が違ったりする程度で殆ど変化はありません。
またこれは全車共通する変更点ですが、初期型(81系)では冷却水給水口が車体裾の赤ライン上に掛かってるんですが、以降一般型(82系)では位置が上昇してクリーム色の部分に現れており、視認性が高まっています。
 
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キロ80
登場当時は1等中間車。後にグリーン車となります。初期型では屋根上がスッキリしていますが、82系相当では屋根上にボコっとおにぎり型の水タンクが増設されています。キロは両車端にトイレがあるため、使用量を考慮してのものです。初期型には増設されず、普通車や先頭車に改造されたりしました。
 
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キサシ80
はつかり型の食堂車。床下には発電用エンジンと水タンクがあり、自車の電力を賄える代わりに完全なる付随車扱いだったので、9両編成のはつかりでは通用しても、他線区での、特に編成短縮時には負担でしかなかったものです。車体はこだま形サシ151を延長したような雰囲気ですが、調理室の扉が外吊りプラグドアではなくて内開扉のようです。
 
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キシ80
他線区に於ける編成短縮に対応できるように自走化した食堂車。2エンジン車なので床下艤装に余裕がなく、水タンクは床上設置としています。そのためキサシとは車体の設計が異なっています。
北海道では喫煙用に小窓が追加改造されていた他、情報がほぼ皆無なので描いていませんがキサシを改造して編入したキシ80-900もありました。
 
特急用ということで、気動車としては初めて冷房が完備されていますが、さて、その電源を架線からとっていた電車とは違って気動車では発電せねばなりません。この発電機が床下艤装の半分くらいを占める(ラジエータ除く)ので、走行用エンジンを削らなければなりませんでした。ゆえに、非冷房ながら全車2エンジン編成が可能なキハ55系準急に、特急型がパワーで負けるという状態に陥っていました。それに関してはキハ181系登場まで覆りませんでしたが、まぁそれは一端置いておいて。(ぉぃ
キハ81系はつかりでは9両編成として、先頭車キハ81と食堂車キサシ80の計3基の発電機を有しています。発電機で賄えるのは冷房単体では4両相当(自車含む)、食堂車では電気レンジ等を使っていたので使用電力を余計に2両分としてカウントしていました。よって各発電機がそれぞれ3~4両分を担っていた計算になりましょう。
これはキハ82でも同じですから、キハ82orキハ81を両端にした編成でキシ80を含めると7両編成まで、ということになります。コレ以上に編成を伸ばす場合には、キハ82の貫通構造が役に立ちます。編成中間にキハ82をブースターとして連結することで、編成を伸ばすことも出来ました。更には6~7両の編成を基本ブロックとして、それら2編成を連結して都市部を走り、途中で行き先別に分割する…という多層階列車もありました。この時代は今ほど列車本数を潤沢にセッティングできなかったので、限られたスジの上でニーズを満たすために多層階列車は沢山走っていたのでした。
 
構造的には固定編成が前提の設計で、気動車としては初めて片栓構造となっていました。当時は特急編成に必須だった食堂車を境に車両の向きを変える方法としていました。ちなみに、こだま形151系でも最初の頃はサロ同士の連結面を境にエンドが逆転していたので似たようなものですネ。
後年、食堂車が連結されない編成も出てきたため、こんどはキロ80のデッキ側を両栓構造とする改造が行われ、車両の向きはキハ80とキロ80を境にしても逆転できるようになります。更なる短編成化も見込んで、キハ82のデッキ側も両栓構造にできるよう準備工事が行われていた、と云われています。実際にはどんなに短くなっても普通車だけの編成では運用されていなかったようですが。(北海道末期の4両編成でもキロ80を含んでいました。)
 
板谷峠を越える「つばさ」では補機に牽引されていましたが、同線区の電化方式が変更になる時期を跨いでキハ82系の活躍があるもので、補機の組み合わせとしてはEF16、EF64、EF71と多彩です。また、碓氷峠を越える所謂「信越白鳥」でもアプト時代と粘着時代とを跨いでの活躍であり、アプト時代はED42、粘着時代はぶどう色(1次)と青色(2次)のEF63との組み合わせが実現していた筈です。
残念ながらED42は未だ描けていませんが、他の補機は既に描いてあります。
2016/03/01 00:07 | TB:近作紹介 | コメント(0) | トラックバック(0) | page top↑
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